今日のお題:桐原健真「「公論」が「公論」であるために:天下後世自づから公論有り」、『三和新聞』659号、2015年11月10日、4頁
『三和新聞』と申しますのは、三和テッキさんのなかにある三和新聞社さんが出している、業界機関紙でございます。なんとまぁ、場違いと申しますか、当方の兄にでも書かせたらしいんではないかという感じではありますが、当時、国会とその周辺がとても賑わっていたのを背景に書いてみました。
今からちょうど百年前、与謝野晶子は「駄獣の群」と題して、次のように詠(うた)っている。だれがどんな絶叫をしたかについてはみなさまのご記憶次第というところで。
「此処(ここ)に在る者は 民衆を代表せずして 私党を樹て……公論の代りに 私語と怒号と罵声とを交換す」
国会では「公論」ではなく「私論」が叫ばれるに過ぎないのだと晶子は批判する。こうした「公論」の「置き去り」は、先の国会での議論を思うに、今日でもそう大きく変わらないようであり、泉下の晶子を憶えずにはいられない……