2016年11月08日 (火)

今日のお題:桐原健真「モノとしての書籍」、パネルセッション「近世日本における出版文化の諸相」、日本思想史学会2016年度大会、2016年10月30日、吹田市・関西大学

本パネルセッションは、大会委員が組織したシンポジウム連動企画である。近代に接続する近世の出版文化について三人のパネリストとともに議論していきたい(司会・伊藤聡〈茨城大学〉)。

パネリスト
・引野亨輔(千葉大学)「経蔵のなかの正統と異端」(要旨略)
・吉川裕(東北大学専門研究員)「徂徠学派における詩文集刊行とその意義」(要旨略)
・桐原健真(金城学院大学)「モノとしての書籍」
要旨「後期水戸学の大成者」(植手通有)とされる会沢正志斎に文集や全集等が『会沢正志斎文稿』(2002)以外に見られないことを意外と感じた者は少なくないだろう。幽谷・東湖父子に全集があることを考えれば、その念は更に強くなる。だが会沢の文業を遺す試みが皆無だったわけではなく、その全容を世に問う動きは彼の存命中からあったが、その主著を『新論』に求める理解は今なお強い。しかし『新論』は始めから「尊攘」や「国体」と結びつけて受容されたのではない。本発表は『新論』を手がかりに幕末におけるモノとしての書物の社会的存在を問うものである。

とまぁ、ぶち上げたのですが、少々不完全燃焼でございます。

一番の引っかかりは、会沢正志斎の『退食間話』を誰が出したのかという問題でして、こちらの扉には「御蔵板」と書いてありますので、瀬谷義彦先生などは、「その版本は弘道館蔵版の一冊だけである」(瀬谷義彦「退食間話解説」、日本思想大系53『水戸学』岩波書店、1973年)と仰っているのですが、どうもそれにしても変な版だなぁと想い続けていたわけですが、やっぱりよく分かりません。

さらに、見返しには、こんな印が押されてございます。で、これが何と書いてあるのかが分かりません。とりあえず二文字目以降が「條殿御藏板」というのは確定して宜しいのですが、これが何條なのかが分かりません。

篆刻の専門の方に伺いましても、

「日本の篆刻はいい加減だからねぇ」

と、なんとも恐縮なことを仰るので、非常に困って、発表当日に至り、恥を忍んで、

「お分かりになる方、是非ご教示を賜りたく」

と申しましたが、結局、どなたにもご教示戴けず終わってしまった次第。

いろいろ検討はしてみたのですが、おそらくは「五條殿御藏板」だろうというのが、現在の結論でございます。

五条家と申しますのは、摂家でも何でもございませんで、菅原氏の庶流でございまして、所謂半家であります。おそらくここら辺の公家あたりからなんらかのルートで版行されたのだろうと思うのですが、正直、江戸のことばかり目が行っており、京都での出版事情というものに理解がなく、どういうことなんじゃろ、と謎が謎を呼んで、次回に続くという次第でございます。

御蔵板だと検閲とかそこら辺、どういう扱いになったんでしょうねぇ。まったくもってそういう実社会の次元のことは不案内でございます。昔も今もですが。

<< 桐原健真「服部之総――「生得の因縁」と戦後親鸞論の出発点」、オリオン・クラウタウ編『戦後歴史学と日本仏教』法藏館、2016年、49〜75頁 | main | お詫びと訂正 >>