本発表は、近代日本における仏教者である河口慧海(1866?1945)の思想を、その二度の入蔵(チベット行)における相違をふまえつつ論ずるものである。河口は、日本人としてはじめてチベットに入った人物として知られ、その研究もチベット探検家としての側面が中心であった。
19世紀における「文明国」たちは、地図上の「空白」を塗りつぶすために、「野蛮・未開」の地を踏破することにしのぎを削っていた。それは一方では帝国主義の運動のしからしむるところであったが、他方で未知なる対象を既知としようとする「科学的」な動機に起因するものでもあった。しかし河口がはじめて入蔵した動機に存在していたのは、そのような「文明」的背景だけではない。むしろ彼には、真なる「釈尊の金口」を希求する心こそがあったのである。
「大乗非仏説論」に対して終生強い反駁を加え続け、梵蔵経典の中に真実の教え(「仏説」)を見出そうとした河口は、その「原理主義」(奥山直司)的な経典解釈ゆえに、ついに「日本仏教非仏説」にまで到達する。本発表では、「唯一の大乗国」という日本仏教におけるナショナリズム言説と仏教の近代化との狭間の中で彼が逢着した地平を明らかにしたい。このことは、近代における「聖典性」を有したテキストの存在形態の考察に資するものともなろう。
参考文献
河口慧海『チベット旅行記』講談社学術文庫1978年(1904年刊の復刻)
河口慧海『第2回チベット旅行記』講談社学術文庫1981年(1966年刊の復刻)
河口慧海/奥山直司編『河口慧海日記――ヒマラヤ・チベットの旅』講談社学術文庫2007年
高山龍三編著『展望河口慧海論』法蔵館、2002年
奥山直司『評伝河口慧海』中央公論新社、2003年