2019年03月26日 (火)

今日のお題:桐原健真「民間社会事業と「公」:渋沢栄一を中心に」(東アジア文化交渉学会第11回年次大会、ドイツ・フリードリッヒ=アレクサンダー大学・エアランゲン=ニュルンベルク、2019年05月12日)

桐原健真「民間社会事業と「公」:渋沢栄一を中心に」要旨

 本発表の目的は、著名な実業家であり篤志家である渋沢栄一(しぶさわ・えいいち:1840〜1931)を通して、近代日本の民間における社会事業の特色を明らかにすることである。近代日本における民間社会事業の思想と実践は、たんに西洋からもたらされた思想だけでなく、19世紀初頭以後から変容した「公」の概念にも起源を有している。こうしたことを明らかにするために、本発表では、最初に、日本の歴史における「公」言説について、中国の思想――とりわけ儒学――との関係でその概要を述べることとなろう。

 日本語においては、しばしば、「公」の意味するところは、「政府なるもの」とおなじであった。しかしながら、徳川時代の後期における儒学に対する理解の深まりは、「非政府的」という意味での「公」の概念を、知識人のあいだに流布させていったのである。こうした知的空間において、渋沢は、みずからの思想を形成していったのであり、それは彼の社会事業活動における基本的な考え方の一つともなったのであった。

発表資料
  • テキスト
  • PowerPointハンドアウト

    ○追加
    第一報告・二宮尊徳の民間事業の思想_ハンドアウト

  • 2017年09月14日 (木)

    今日のお題:桐原健真「三山と松陰」、奈良県立大学ユーラシア研究センター「谷三山研究会」、奈良市・奈良県立大学、2017年09月11日

    1853年に松陰は、江戸に向けて諸国遊歴を続けていた。その際、大和周辺に3ヶ月ほど滞在している。そこで出会った大和五條の森田節斎や八木の谷三山に、松陰は強い影響をうけた。そしてまた、斎藤拙堂『海外異伝』(1850)をめぐる論争に巻き込まれ、彼自身も、学問とはいかにあるべきか、なにをなすべきかを問うていくこととなる。

    2017年07月21日 (金)

    今日のお題:桐原健真「明治150年を前に水戸学を問う」、奈良県立大学ユーラシア研究センター「近世・近代の思想研究会」、奈良市・奈良県立大学、2017年07月21日

    「後期水戸学」の「理論的代表者」(丸山真男) や「後期水戸学の大成者」(植手通有)と言われる会沢正志斎についての語りについて、その生前から幕末維新を経て、近代そして戦後に至るまでの変遷を追ったもの。この作業を通して国体論と水戸学との硬直的な理解を再考した。

    と、まぁ、書きましたが、あんまり奈良とかアジアとかが関係ないという問題点がございます。もう一山こしたところでつながるだろうなぁとは思うのですが、少々どうにもいけません。

    2017年03月06日 (月)

    今日のお題:桐原健真「「漢学」と日本近代:三島中洲と渋沢栄一」、二松學舍大学創立140周年記念シンポジウム「「論語」と「算盤」が出会う東アジアの近代 渋沢栄一と三島中洲」、千代田区・二松學舍大学、2017年01月21日

    見城悌治ほか編『渋沢栄一は漢学とどう関わったか:「論語と算盤」が出会う東アジアの近代』(ミネルヴァ書房、2017年02月)の刊行記念でもあるかと。

    渋沢栄一は漢学とどう関わったか - ミネルヴァ書房
    http://www.minervashobo.co.jp/book/b253533.html

    当日の様子は、以下からどうぞ。

    二松學舍大学創立140周年記念事業 二松學舍大学私立大学戦略的研究基盤形成支援事業主催シンポジウム「「論語」と「算盤」が出会う東アジアの近代 渋沢栄一と三島中洲」
    http://www.nishogakusha-u.ac.jp/eastasia/ea_2016symposium02.html

    2016年11月08日 (火)

    今日のお題:桐原健真「モノとしての書籍」、パネルセッション「近世日本における出版文化の諸相」、日本思想史学会2016年度大会、2016年10月30日、吹田市・関西大学

    本パネルセッションは、大会委員が組織したシンポジウム連動企画である。近代に接続する近世の出版文化について三人のパネリストとともに議論していきたい(司会・伊藤聡〈茨城大学〉)。

    パネリスト
    ・引野亨輔(千葉大学)「経蔵のなかの正統と異端」(要旨略)
    ・吉川裕(東北大学専門研究員)「徂徠学派における詩文集刊行とその意義」(要旨略)
    ・桐原健真(金城学院大学)「モノとしての書籍」
    要旨「後期水戸学の大成者」(植手通有)とされる会沢正志斎に文集や全集等が『会沢正志斎文稿』(2002)以外に見られないことを意外と感じた者は少なくないだろう。幽谷・東湖父子に全集があることを考えれば、その念は更に強くなる。だが会沢の文業を遺す試みが皆無だったわけではなく、その全容を世に問う動きは彼の存命中からあったが、その主著を『新論』に求める理解は今なお強い。しかし『新論』は始めから「尊攘」や「国体」と結びつけて受容されたのではない。本発表は『新論』を手がかりに幕末におけるモノとしての書物の社会的存在を問うものである。

    とまぁ、ぶち上げたのですが、少々不完全燃焼でございます。

    一番の引っかかりは、会沢正志斎の『退食間話』を誰が出したのかという問題でして、こちらの扉には「御蔵板」と書いてありますので、瀬谷義彦先生などは、「その版本は弘道館蔵版の一冊だけである」(瀬谷義彦「退食間話解説」、日本思想大系53『水戸学』岩波書店、1973年)と仰っているのですが、どうもそれにしても変な版だなぁと想い続けていたわけですが、やっぱりよく分かりません。

    さらに、見返しには、こんな印が押されてございます。で、これが何と書いてあるのかが分かりません。とりあえず二文字目以降が「條殿御藏板」というのは確定して宜しいのですが、これが何條なのかが分かりません。

    篆刻の専門の方に伺いましても、

    「日本の篆刻はいい加減だからねぇ」

    と、なんとも恐縮なことを仰るので、非常に困って、発表当日に至り、恥を忍んで、

    「お分かりになる方、是非ご教示を賜りたく」

    と申しましたが、結局、どなたにもご教示戴けず終わってしまった次第。

    いろいろ検討はしてみたのですが、おそらくは「五條殿御藏板」だろうというのが、現在の結論でございます。

    五条家と申しますのは、摂家でも何でもございませんで、菅原氏の庶流でございまして、所謂半家であります。おそらくここら辺の公家あたりからなんらかのルートで版行されたのだろうと思うのですが、正直、江戸のことばかり目が行っており、京都での出版事情というものに理解がなく、どういうことなんじゃろ、と謎が謎を呼んで、次回に続くという次第でございます。

    御蔵板だと検閲とかそこら辺、どういう扱いになったんでしょうねぇ。まったくもってそういう実社会の次元のことは不案内でございます。昔も今もですが。

    2016年09月11日 (日)

    今日のお題:桐原健真「宗教は一に帰すか―帰一協会とその試み―」日本宗教学会第75回学術大会、新宿区・早稲田大学(戸山キャンパス)、2016年9月10日

    おわりに

    帰一協会の試みを、いわゆる宗教間対話Interfaith dialogueと考えることも可能かもしれません。しかし、対話はどこまでも、彼我 dia- の関係でしかありません。「対」している限り、「帰一」はできないのです。

    帰一協会は、初期の段階で、帰一の困難性に気づきました。個々の宗教は、各々独立して存在しており、その事実を否定して新たな教を立てることはできない。それゆえに帰一協会は、なにかの「形式」を遺すのではなく、宗教者や宗教に関心を有するものたちが集う「場」を形作ることへとシフトしていきました。

    それはいわば、宗教間協業Interfaith Cooperationとしての場であり、Association Concordiaの名にふさわしい営みであったと言えます。こうした宗教間協業の実践は、果たして今日どのような形でなし得るものなのでしょうか。帰一協会の知的営為を踏まえつつ、改めて考えて見る必要があるでしょう。

    以上で発表を終わります。ご静聴感謝いたします。


    一つの結論としては、姉崎正治は偉いなぁということでございましょうか。

    井上哲次郎は相変わらず可哀相なことになっていますが。まぁ、質疑でも申しましたが、イノテツは、長生きしすぎたんだろうなぁ、というところでございましょうか。或る意味、人間は常に成長するという見本のような人間ではあります。

    そういえば、個別発表って久しぶりだなぁと思った今日この頃。

    2016年06月19日 (日)

    今日のお題:桐原健真「The Birth of a Myth: Civil War and Sacrifice in Early Meiji Japan(神話の誕生:初期明治日本における内戦と犠牲)」生成人類学会会議第10回夏季国際学会(The Generative Anthropology Society and Conference)、Guest Presentations by the Kinjo Occult Research Group、名古屋市・金城学院大学、2016年06月19日

    It is often said that the modernization of Japan was a smooth and peaceful transition. However, in fact, the Meiji restoration did not prove to be successful without sparking a huge civil war, the likes of which Japan had not seen in four hundred years. This was called the Boshin Civil War (1868 – 1869), fought between the pro-Shogunate army and the New-government army. After this civil war, with a front extending over the eastern part of Japan, the New-government enshrined more than three thousand fallen soldiers as the tutelary deities of “their own nation” in Tokyo Shōkonsha (the shrine to summon souls), which is now the controversial Yasukuni Shrine. It can be said that they were sacrifices to establish the new régime of the so called "Meiji State." However, there was a stringent rule to sort the souls of dead soldiers, since, as with Valhalla, not all fallen soldiers were enshrined in this shrine. This was the birth of the myth of modern Japan. This paper will describe the construction of this myth by throwing light on the relation between enshrining and using dead soldiers as sacrifices.

    しばしば日本の近代化は円滑にして平和裏な進行であったといわれる。しかしながら、実際には、明治維新は、それまでの400年間に日本が目の当たりにすることがなかった大規模な内戦無しに成功をもたらすことができなかった。この内戦は、旧幕軍と新政府軍とによる戊辰戦争(1868-1869)と言われる。戦線を東日本全域に展開したこの内戦の後に、新政府は三千以上の戦没者を「彼ら自身の国」を護る神として東京招魂社(魂を呼び戻すための東京にある神社。現在物議を醸している靖国神社)に祀った。彼らを「明治国家」と呼ばれる新体制を樹立するための犠牲であったと言ってもよい。しかし、すべての戦没者がこのヴァルハラのような神社に祀られたわけではないように、そこには戦死者の魂を選別する厳しい論理が存在していた。それは、近代日本における神話の誕生であった。本発表は、招魂と犠牲としての戦死者との関係に光を当てることによって、この神話の構造を明らかにするものである。

    2016年05月07日 (土)

    今日のお題:桐原健真「帰一協会の思想史的意義とその可能性:渋沢栄一を軸として」、パネル6「帰一協会と渋沢栄一」、東アジア文化交渉学会・第8回年次大会、2016年5月7日、吹田市・関西大学

    すっかり忘れていましたが、バタバタと発表をしてきたのでした。

    正直、自分が何をやっているのかよく分からない日々が続いておりますが、とにかく生きておりますので、どうぞ今後とも生温かくお見守り下さいますよう。

    で、要旨でございます。
    「階級、国民、人種、宗教の帰一」を合言葉とした帰一協会は、その広範な参加者を得ながらも、必ずしも大きな成果を残さなかったようにみえる。

    たしかに、協会の経済的支柱であった渋沢栄一の死去や、思想的中心としての姉崎正治の東大退職などがあった1930年代には目立った活動がみられず、「姉崎博士の帰一協会」は「失敗」(『読売新聞』1936年3月20日朝刊、5頁)であったとすら言われた。

    しかしこの時期、一方では谷口雅春や伊藤証信らによる「万教帰一」や「万教共和」の運動があり、「帰一」という志向自体が社会から失われたわけではない。

    本報告は、渋沢や姉崎による諸教説の「帰一」という試みを再検討し、近代日本の宗教空間における一つの「対話」であった協会の思想史的意義を明らかにすることを目指すものである。このことは、今日、なおいっそうその可能性が問われている宗教間対話の検討に資するものとなろう。

    要旨ですので、実際の発表とはいたく異なりますが、なんとも恐縮です。

    2016年02月10日 (水)

    今日のお題:番組出演『英雄たちの選択:知りすぎた男たちの挑戦 蛮社の獄 渡辺崋山と高野長英の決断」』NHK BS プレミアム、2016年01月28日(木)20:00放送

    えっと、そろそろ、再放送も終ったことでしょうから、時効ということで、忘れないうちに書いておきましょう。業績一覧にはとにかく何でも書いておかないといけませんから。

    英雄たちの選択「知りすぎた男たちの挑戦 蛮社の獄 渡辺崋山と高野長英の決断」 - NHK
    http://www4.nhk.or.jp/heroes/x/2016-01-28/10/21352/2473060/

    というのに出てきました。

    英雄たちの選択 「知りすぎた男たちの挑戦 蛮社の獄 渡辺崋山と高野長英の決断」

    出演 : 磯田道史 、岩下哲典 、宮崎哲弥 、平野啓一郎 、桐原健真

    権力にもの申すことが命の問題に直結した江戸時代。幕府の政策に危機感を抱き、あえて意見書をしたためた二人の男がいた。渡辺崋山と高野長英。二人は当時、世界を最も知っていた日本人とも言われる。西洋の学問を通して世界情勢に精通、いわゆる鎖国を貫こうとする幕府の方針に異を唱えた。そうした動きに対し、幕府は弾圧で臨む。世に言う蛮社の獄。死の危険に直面しながら、二人は何を訴え、どんな葛藤を抱えていたのだろうか。

    2016年01月28日(木)20:00放送 NHK BS プレミアム


    端っこの方で、コソコソしてましたよ。

    「なんでオマエが崋山なんだ」というツッコミはごもっともなのですが、

    「それはやはり、愛知の偉人ですもの。愛知の人間が出て当然じゃないですか」

    と、名古屋に来て3年と経たない男がのたもうてますよ。

    っていうか、平野さんのほうがよっぽど愛知にご縁があるわけで。

    結局、こういうつながりなわけで、なんでも書いてみるもんだなぁと思ったりする次第。

    思海 | 桐原健真「渡辺崋山(1793-1841)・高野長英(1804-50):日本への目覚め」『環・特集:今、「国家」を問う』57号、2014年4月、271-274頁

    崋山座像.jpg
    (崋山座像:田原市池ノ原公園内・渡辺崋山池ノ原幽居跡)

    ピンでしゃべったことはあるのですが、討論形式の番組は初めてで、なんとも慚愧の念で一杯でございます。今回NHKに行って一番よかったと思えたのは、メイクさんに「肌キレイですね」と言われたことでしょうか。

    2015年09月11日 (金)

    今日のお題:桐原健真「阪谷朗廬と備中の漢学、渋沢との関係」、公益財団法人渋沢栄一記念財団主催「「備中の漢学」を考えるシンポジウム」、井原市・興譲館高等学校、2015年9月11日

    「備中の漢学」を考えるシンポジウム
    日程 2015/9/10〜11
    開催地 岡山県/倉敷公民館(倉敷市)、興譲館高等学校校友ホール(井原市)
    幕末から明治にかけて、備中(現在の岡山県西部)には、著名な漢学者が輩出し自らが活躍するとともに多方面の指導者に大きな影響を及ぼしました。二つのシンポジウムでは、備中出身の三島中洲、阪谷朗廬と近代日本社会の形成に大きな足跡を残した渋沢栄一との関係に焦点を当て、近世から近代への激動期における東アジアの中の日本という視点から備中の漢学の果たした役割を浮き彫りにし、その現代的意味を考えます。

    日 時 2015年9月11日(金)午後1時30分〜4時30分
    主 催 公益財団法人渋沢栄一記念財団
    共 催 興譲館高等学校、二松学舎大学、備中倉敷学
    会 場 興譲館高等学校校友ホール
    参加費 無料 (事前申込不要)

    演 題 備中の漢学―阪谷朗廬、三島中洲、渋沢栄一
    パネリスト
    桐原健真(金城学院大学)―阪谷朗廬と備中の漢学、渋沢との関係
    町泉寿郎(二松学舎大学)―三島中洲、渋沢栄一、二松学舎の関係
    見城悌治(千葉大学)―渋沢栄一と漢学、道徳経済合一説
    于臣(横浜国立大学)―中国から見た備中の漢学
    丁世絃(関西大学大学院―朝鮮から見た備中の漢学
    司 会 木村昌人(公益財団法人渋沢栄一記念財団)

    「備中の漢学」を考えるシンポジウム|シンポジウム|企画・セミナー等情報|研究センター|公益財団法人 渋沢栄一記念財団
    http://www.shibusawa.or.jp/research/project/symposium/post2015_07_29_71119.html

    1/2 >>