今日のお題:桐原健真「連続と断絶:水戸学と維新のあいだ」(人文学部地域史シンポジウム「明治維新と茨城の歴史」2013年11月16日、水戸市・茨城大学)
茨城大学人文学部地域史シンポジウム「明治維新と茨城の歴史」でトリを勤めて参りました。
『新論』を維新の経典にするのはやめようといういつもの話とともに、当方が登壇するまでにお話しいただいた方々の中身をすくい上げながら盛り込むという芸に挑戦。次はもっとうまくやりたいところではあります。
いろんなところで書き散らかしておりますが、今日の感覚からすると、戦前における会沢評価の低さはどうにも理解できないところがございます。すなわち戦前の水戸学研究は、徳川光圀を一つ目のヤマとすると、斉昭と東湖の君臣ペアが二つ目のヤマとなって位置づけられる訳であります。これに対して、戦後は、まぁ、会沢一極集中と言っても宜しいのではないかというくらいに、会沢一辺倒になります。
戦前において会沢の評判が芳しくなかった理由としては、やはり、その晩年の言動にあったと申せます。会沢開国論と呼ばれる「時務策」ですとか、戊午密勅の返納論ですとか、そういったことが会沢をしてその評価を低くならしめたわけです。個人的見解としては、彼はかなり本気で儒学を信じていた人間で、学者としては立派なもんだと思うのですけど、なかなかそこら辺に光が当たらないというか、当てられないというのが少々不満でございます。
嗚嗟、ちなみに左の『新論』は当方が個人で所有しているものなので、パブリックドメインとして公開します。所蔵印を見ますと、「砂川和義」とありますので、日本古代の法制史で知られる砂川さん(1937〜2006・神戸学院法学部)の蔵書だったのではないかと思われます。経緯は分かりませんが、めぐりめぐるというのはこういうことかなと思ったり思わなかったり。