今日のお題:桐原健真「渡辺崋山(1793-1841)・高野長英(1804-50):日本への目覚め」『環・特集:今、「国家」を問う』57号、2014年4月、271-274頁・桐原健真「吉田松陰(1830-59)・山鹿素行(1622-85):近世日本の「中国」問題」、藤原書店『環・特集:今、「国家」を問う』57号、2014年4月、279-282頁
環 vol.57 〔特集・今、「国家」を問う〕 (学芸総合誌・季刊『環――歴史・環境・文明』2014年春号)
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藤原書店
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藤原書店さんの『環』で「小特集:近世・近代日本の国家観」というのがございまして、なんだかんだで誘われた結果、書いた次第。最初、「5枚で勘弁して下さい」と言っておきながら、ズルズルと10枚になるという為体(ていたらく)。その節は、本当にご迷惑お掛けしました。
○桐原健真「渡辺崋山(1793-1841)・高野長英(1804-50):日本への目覚め」
いまだに、蛮社の獄は尚歯会への言論弾圧だという見解は生き残っているんだなぁというお話しでございます。なお、「蛮社の獄」を「尚歯会グループに加えられた弾圧事件」と書いてある事典を探すといったことは時間の無駄なのでやめましょう。
○桐原健真「吉田松陰(1830-59)・山鹿素行(1622-85):近世日本の「中国」問題」
「中国」という呼称を使いたくないという人の意見に何となく賛同したくなったものの、現代中国に対してまでそれを貫こうとするのには同意できないので、ことば選びには難渋しました。
その意味で、中華民国を支那共和国と呼び続けた日本政府のメンタリティは検討に値するかもしれません。
意外に、後期松陰に素行の影響はあるのかもしれないと思ったのですが、そのお話しはまた別の機会に。