2013年12月25日 (水)

今日のお題:桐原健真「徳富蘇峰『吉田松陰』と「維新」の行方」、杉原志啓・富岡幸一郎編『稀代のジャーナリスト・徳富蘇峰』藤原書店、2013年、143?147頁

稀代のジャーナリスト・徳富蘇峰 1863-1957

藤原書店
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暮れも押し詰まった節に一冊の本が届きました。

杉原志啓・富岡幸一郎編『稀代のジャーナリスト・徳富蘇峰』藤原書店、2013年12月
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でございます。ちなみに、こんな書き出しです。嗚嗟、幕末偉人伝って、こんな感じで書かれ始まっていくんだなぁというのがおわかりいただけたら幸い。


1893年に刊行された徳富蘇峰の『吉田松陰』は、単行本の形としては、事実上、初めての松陰の伝記であった。このことは、幕末に活躍した他の思想家や政治家と比べても、少しく遅い登場であったと言える。

西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通ら維新三傑の伝記が、その死去直後にあたる1870年代末以降に陸続として出版されたことは当然であったとしても、松陰の師にあたる佐久間象山の伝記である清水義寿『信濃英傑佐久間象山大志伝』が1882年に刊行され、その翌年には、『汗血千里駒』(坂崎紫瀾著)のタイトルで坂本龍馬伝が著されていることを考えれば、蘇峰の『吉田松陰』の遅さは意外の観を与えるものである。さらに、松陰を死に追いやった井伊直弼の再評価を試みる島田三郎の『開国始末 井伊掃部頭直弼伝』が、1888年に現れていることは、こうした印象をいっそう強くさせよう。

西南戦争(1877年)・明治14年政変(1881年)を経て、あらためてあの幕末維新を思い返す風潮が生まれたのが1880年代であったが、松陰は明らかにこの潮流からは外れていた。もとより、彼の伝記を著そうという試みが皆無だったわけではない。しかし、彼の弟子たちには、いわば神格化された師を論評することへのタブー視があった。蘇峰の『吉田松陰』には、こうした「前史」が横たわっていたのである。

とは言え、『吉田松陰』が、今日においても松陰論の古典として評価が高いのは、けっしてその先駆性にあるのではなく、これが戦前期にしばしばみられた愛国主義・膨張主義的な松陰論とは一線を画しているからにほかならない。或る意味で、この『吉田松陰』という書は、偉人伝としての松陰論を拒否するところから出発しており、このことが却ってその成功をもたらしている……


蘇峰の『吉田松陰』を読んでいると、小楠の評価が非常に高くてびっくりします。その背景は色々なんだろうと思いますが、彼自身が小楠を大変尊敬していたのが一番の理由でありましょう。事実、1889年には、横井時雄に『小楠遺稿』(民友社刊)を出させているわけですから、これは本物です

そこら辺の処も書きたかったのですが、紙幅の関係もあり、断念した次第

あと、ちょうどこの頃に勃発していた人生相渉論争との絡みでもちょっと書いて見たかったのですが、これも断念

まぁ、どう考えても盛り込みすぎですな

2013年12月03日 (火)

今日のお題:本棚

研究室に本棚がやってきたYa!Ya!Ya!

やってきたらYa!Ya!Ya!と応えるのが様式美というヤツですね。

いや、無かったんですよ、本棚。そこで、エイやと入れた次第。仙台から段ボールのママだったモノがようやくしまえる――と思ってはいるのですが、なんともバタバタしていて遅々として進みません。まぁ、こんな処にこんなモノが、と一冊一冊やっているから遅いんですがね。

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