2019年10月28日 (月)

今日のお題:昆野伸幸氏より『増補改訂・近代日本の国体論:〈皇国史観〉再考』(ぺりかん社、2019年10月16日)をご恵贈賜る。

昆野伸幸氏より『増補改訂・近代日本の国体論:〈皇国史観〉再考』(ぺりかん社、2019年10月16日)をご恵贈賜る。誠に有難く存じます。

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『増補改訂・近代日本の国体論:〈皇国史観〉再考』

こちらは2007年公刊本を、増補改訂されたものになります。基本文献でありながら入手が困難になっているため、非常な高値で市場に出ておりましたが、これで適正な形で必要な方の手許に届くかと思うと、慶賀の至りでございます。

しかし、なんで「国体」なんてことばを作ったんだろうねぇと最近しばしば思うのですが、吉田松陰といわゆる「国体論争」(by 橋川文三)をやらかした山県太華が、

「国体と云ふこと、宋時の書などに往々之れあり、我が邦の書には未だ見当らず。水府に於て始めて云ひ出せしことか。」

と言ったのは、まさに卓見で、宋代(特に南宋)あたりの本によく出てきます。嗚呼、南宋ねぇ、まさに「内憂外患の交(こも)ごも至る」(『宋史』406巻、列伝166「杜範」)と言われる時代だけありますわな。

「尊王攘夷」といい、「国体」といい、水戸学と申しますのは、守旧のイメージが強い割に、新しいことばを作って人心を動員するのに、まことに長けていると言えます。

2019年10月23日 (水)

今日のお題:中野目徹先生より『三宅雪嶺』(吉川弘文館・人物叢書、2019年10月10日)をご恵贈賜る。

中野目徹先生より『三宅雪嶺』(吉川弘文館・人物叢書、2019年10月10日)をご恵贈賜る。まことにもって感謝の至りでございます。


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三宅雪嶺(1860-1945)という人物も、よくよく考えれば、徳富蘇峰(1863-1957)とまでは行かぬにせよ、結構長生きした人物なわけでありますが、実際に出てくるときは、その前半生くらいで止まっているかと。蘇峰が晩年まで暗躍(?)し、『戦後日記』までが世に出たりしているのに比べると、どうも雪嶺の取り扱いはいかがなものかと思ったりいたします。

まるで、日露戦争時の言動だけで評価され続けられている与謝野晶子(1878-1942)のようだなぁと思う次第。晶子も結構いろいろやってくれてるんですけどねぇ。

2019年10月18日 (金)

今日のお題:田中友香理氏より『〈優勝劣敗〉と明治国家:加藤弘之の社会進化論』(ぺりかん社、2019年9月30日)をご恵贈賜る。

田中友香理氏より『〈優勝劣敗〉と明治国家:加藤弘之の社会進化論』(ぺりかん社、2019年9月30日)をご恵贈賜る。ありがとうございます。

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「明治日本」と「社会進化論」と言われると何となく分かった気にはなっていて、学生にもそんな感じで話すのですが、加藤弘之からきちんとアクセスしたのは大変に素晴らしい。

ヨーロッパにおける社会進化論は、第一次世界大戦で突然終わるというご指摘は、なるほど確かにそうだなぁと、己れの不明に想いを致す次第なわけですが、その「欧州大戦」に乗り損なってしまった極東の島国ではどうなったのかなぁと翻って考えるところ。まぁ、成金でウハウハで、「どうだ明るくなつたらう」な社会では、優勝劣敗で結構だったんでしょうが。

まぁ、そこそこ「欧州大戦」に日本知識人も反応はしているものの――渋沢が帰一協会に興味を示さなくなった一つの理由にはなっていると思う――、社会全体でどうであったのかは今後のお話でしょうか。19世紀的な世界観を脱しきれなかったのが痛かったのかなぁ。

2019年03月26日 (火)

今日のお題:桐原健真「民間社会事業と「公」:渋沢栄一を中心に」(東アジア文化交渉学会第11回年次大会、ドイツ・フリードリッヒ=アレクサンダー大学・エアランゲン=ニュルンベルク、2019年05月12日)

桐原健真「民間社会事業と「公」:渋沢栄一を中心に」要旨

 本発表の目的は、著名な実業家であり篤志家である渋沢栄一(しぶさわ・えいいち:1840~1931)を通して、近代日本の民間における社会事業の特色を明らかにすることである。近代日本における民間社会事業の思想と実践は、たんに西洋からもたらされた思想だけでなく、19世紀初頭以後から変容した「公」の概念にも起源を有している。こうしたことを明らかにするために、本発表では、最初に、日本の歴史における「公」言説について、中国の思想――とりわけ儒学――との関係でその概要を述べることとなろう。

 日本語においては、しばしば、「公」の意味するところは、「政府なるもの」とおなじであった。しかしながら、徳川時代の後期における儒学に対する理解の深まりは、「非政府的」という意味での「公」の概念を、知識人のあいだに流布させていったのである。こうした知的空間において、渋沢は、みずからの思想を形成していったのであり、それは彼の社会事業活動における基本的な考え方の一つともなったのであった。

発表資料
  • テキスト
  • PowerPointハンドアウト

    ○追加
    第一報告・二宮尊徳の民間事業の思想_ハンドアウト

  • 2018年01月23日 (火)

    今日のお題:西村玲さんの『近世仏教論』(法藏館、2018年1月)を頂戴する

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    本日、西村玲さんの『近世仏教論』を落手。

    おまとめにご尽力戴いた編集委員会のみなさまには、心より御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

    近世仏教論 - 法藏館書店
    http://www.hozokanshop.com/Default.aspx?ISBN=978-4-8318-6247-1

    2018年01月22日 (月)

    今日のお題:桐原健真「宗教は一に帰すか:帰一協会の挑戦とその意義」、見城悌治編著『帰一協会の挑戦と渋沢栄一:グローバル時代の「普遍」をめざして』ミネルヴァ書房、2018年2月、13-33頁

    帰一協会の挑戦と渋沢栄一.JPG遂に出ました。おめでとうございます。

    帰一協会で一冊の論文集というのは、おそらく前人未踏の快挙ではないかと衷心よりお慶び申し上げる次第。

    って、オマエも書いてるんじゃないかと言われればその通りなのですが、編集作業はとても大変であっただろうとお察し申し上げます。

    惹句にはこんな感じで書いてあります。

    「理想」の模索とその行方とは。 国際化が急速に進展した第一次世界大戦前後、 日本の知識人が集い、議論した「場」の実像。

    大逆事件と一次大戦の狭間に始まるというのが何とも微妙というか絶妙の時期でございまして、このころの日本知識人の非常に複雑な状況をよく反映しているのは確かなのですが、複雑ですと言うだけではこれはお話にならないわけで、ほんと難しいお話に取り組んで戴き誠にもって有難い限りでございます。

    目次
    はしがき
    序章 帰一協会とは何か
     第Ⅰ部 近代日本における「宗教」/「道徳」と帰一協会
    第一章 宗教は一に帰すか
    第二章 宗教統一論と国民道徳
    第三章 浮田和民の帰一理想と帰一協会
    第四章 漢学から見た帰一協会
    第五章 「精神界」の統一をめざして
    コラム1 シドニー・L・ギューリック
    コラム2 森村市左衛門
     第Ⅱ部 グローバル化のなかの帰一協会
    第六章 澤柳政太郎のアジア主義
    第七章 成瀬仁蔵の帰一思想
    第八章 初期帰一協会の国際交流活動と宗教的自由主義
    第九章 「一等国」をめざす有識者グループの努力と限界
    第一〇章 「帰一」というグローバル化と「信仰問題」 
    コラム3 帰一協会に賛同した欧米の人士たち
    コラム4 帰一協会例会で講演した人士たち
    付録 帰一協会関連資料
    人名・事項索引

    帰一協会の挑戦と渋沢栄一 - ミネルヴァ書房 ―人文・法経・教育・心理・福祉などを刊行する出版社
    http://www.minervashobo.co.jp/book/b333378.html

    2017年12月08日 (金)

    今日のお題:桐原健真「会沢正志斎と「水戸学」の系譜:幕末から戦後まで」、近代茨城地域史研究会編『近世近代移行期の歴史意識・思想・由緒』岩田書院、2017年、147~172頁

    会沢正志斎はなんでこんなに偏った研究しかないんだろうという問いに答える論文。とは言え、そもそもそういう問いの立て方自体どうなんだろうと思わなくもないですが。
    会沢正志斎は、尊攘派の鎮激分裂や鎖国論の放棄(「時務策」1862〈文久2〉)といった晩年の言動のために、尊攘激派を「正論派」と呼ぶような文脈においては語り難い存在となった。しかし水戸行幸啓(1890)での祭粢料下賜や翌年の贈位は、会沢に一定の名誉回復をもたらした。だが東湖や激派の精神的な継承者を自任する水戸人士の多くにとって、会沢は明らかに傍流であった。

    しかしこうした評価は、1920年代に大きく変化することとなる。すなわち旧来の国民道徳論的な水戸学とは異なる「新水戸学」が模索されるなか、「時務策」に代表される積極的な国家改造論者として会沢が想起され、そのイメージは「新しい国体論」が唱えられる1930年代にも引き継がれた。そして1940年代には、『新論』の著者である会沢は、高度国防国家の建設のためのイデオローグとして描かれ、ついに「水戸学の大成者」と称されるに至る。

    かくて確立した「維新の経典」の著者にして「水戸学の大成者」としての会沢像は、戦後の後期水戸学研究の方向性をも規定した。すなわち、敗戦を経て、天皇制国家の支配原理の分析が求められた結果、その一つの源泉と考えられた会沢思想の研究が進められたが、その際に中心となったのは『新論』であり、彼の思想全体が検討されることは少なかったのである。

    会沢は、その時代で様々に想起されてきた。だがそれは多くの場合、明治国家という結果から歴史を遡及しようとするものであった。それゆえ、国民国家の形成を無条件に結論とせず、その生きた時代や環境をふまえて会沢を再検討することが、いま求められている。

    2017年11月20日 (月)

    今日のお題:この門をくぐる者は…

    今週になってたくさんポスターを頂戴し、まさにカオスになりかけている自室前。
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    なかなか入るのに勇気がいる感じになって来ました。

    2017年10月01日 (日)

    今日のお題:佐々木寛司代表・共著『高等学校 日本史A 新訂版』清水書院、2017年

    佐々木寛司代表・共著『高等学校 日本史A 新訂版』清水書院、2017年
    http://www.shimizushoin.co.jp/tabid/89/pdid/301/Default.aspx

    なんかついうっかり書き忘れていました。

    基本的に近世後期あたりとあと文化史全般が担当範囲でございます。

    一応、書誌情報的には共著ということになっております。多分文科省的な取り扱いのお話なのかなぁ。

    2017年09月14日 (木)

    今日のお題:桐原健真「三山と松陰」、奈良県立大学ユーラシア研究センター「谷三山研究会」、奈良市・奈良県立大学、2017年09月11日

    1853年に松陰は、江戸に向けて諸国遊歴を続けていた。その際、大和周辺に3ヶ月ほど滞在している。そこで出会った大和五條の森田節斎や八木の谷三山に、松陰は強い影響をうけた。そしてまた、斎藤拙堂『海外異伝』(1850)をめぐる論争に巻き込まれ、彼自身も、学問とはいかにあるべきか、なにをなすべきかを問うていくこととなる。

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